研究概要


 生物学研究における数理モデルの寄与は,その重要性をますます高めています。コンピュータにおけるハード・ソフトの発展,数学や物理学における非線形系・複雑系に対する数理的研究の進展によって,その散逸性や複雑性から数理的研究が難しいとされてきた生物系の研究においても数理モデル研究がますます多様に発展しています。以下,数理生物学においてこれまで取り組み,さらに発展させようとしている研究課題の主たるものに関して,それぞれの概要を記します。

 各課題における数理的研究の展開において留意しようとしてきたのは,対象とする生物現象の如何なる生物学的問題を取り上げるか,その問題を如何に数理モデルとして構成するか,その問題を考察するために構成された数理モデルに関して如何なる数理的解析を行なうか,数理的解析によって得られた結果を如何に生物学的議論として取り上げるか,ということです。いわば,生物現象に関する数理モデリングの研究を展開してきました。 個々の研究において,構成し,解析してきた数理モデルは,いずれも基礎的なものであり,必ずしも直接にデータ解析に利用することを目的としたものではありません。 質的な議論を通して生物学的な論点を明らかにするとともに,より発展的な数理的研究,現象分析により応用的な数理モデルの構成における基盤を提供することを目標とした基礎研究と位置付けられると考えています。

◇ 研究課題


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□ 異なる時間スケールをもつ過程から成る生物現象のモデリングの数理

 多くの生物現象には,時間スケールの異なるプロセスが絡まっています。 たとえば,人間集団における感染症の伝染ダイナミクスについての数理モデル研究においても,感染症の伝染過程,発症過程のもつ時間スケールと,着目している集団の人口変動の時間スケールの間に差異がある(前者の時間変動は後者に比べて速い)場合が多いと考えられます。 そのような時間スケールの差異が感染症伝染ダイナミクスの特性にどのように関係するかについて詳細な検討のなされた数理的研究は稀有です。 本研究は,そのような異なる時間スケールをもつ複数のプロセスの関係により現れる生物個体群ダイナミクス(生物の個体群サイズ[総個体数や密度など]の時空間変動の様相)の特性を理論的に議論するための数理モデルの構造について検討し,従来の数理モデルによる理論に新しい見方を提示することを目的とするものです。 特に,生物現象に関する理論的研究を目的とする数理モデルの構造には,数理モデリングの合理性,すなわち,生物現象の構造と数理的構造の間の論理的な整合性が必要ですから,本研究では,この数理モデリングの合理性の観点から,異なる時間スケールをもつ複数のプロセスから成る生物個体群ダイナミクスに関する合理的な数理モデルの構造についての数理的な議論を進めます。

 たとえば,マラリアやデング熱などの蚊を媒介昆虫とした感染症の伝染ダイナミクスに関する数理モデル研究の多くでは,蚊の繁殖・増殖過程と宿主としての人間集団の人口変動過程が同じ時間スケールとして扱われていることが多いのですが,現実的には,媒介昆虫の繁殖・増殖過程の時間スケールは人口変動過程の時間スケールに比べると相当に小さい(すなわち,時間的に速い)と考えられます。 また,長い理論研究の歴史のあるインフルエンザの伝染ダイナミクスの数理モデルについては,ウイルスの増殖過程とその分散過程の時間スケールについて考慮したものは皆無といってよく,大抵の場合,実際の飛沫感染の過程は暗に数学的に近似されることによって,ブラックボックスとして数理モデルに組み込まれていると考えることができます。 O-157などによるウイルス感染性胃腸炎の伝染ダイナミクスに関しても,感染者と感受性者の直接接触による伝染ではなく,感染者の吐瀉物・分泌物への感受性者の接触が感染を引き起こすことはよく知られています。 この理由で,衛生状態に問題のある共同体(たとえば,発展途上国の特定地域や,難民キャンプなど)におけるそのような感染症の伝染ダイナミクスについては,従来の感染者密度と感受性者密度のみを考える数理モデリングによる数理モデルに基づいた議論に加えて,内在する時間スケールの異なる過程の感染症伝染ダイナミクスへの寄与を考えるために,時間スケールの違いがどのように特性に反映されるかについての理論的研究が必要であると考えられます。

 異なる時間スケールをもつ複数の過程を含む数理モデルは新しいものではありません。 生物個体群ダイナミクスを含む生物現象に関する数理モデルについても同様です。 しかしながら,従来の数理モデル解析においては,特異摂動理論(singular perturbation theory)をその数理モデルの解析に応用することによる数理モデルの特性の議論に尽きており,数理モデルのモデリングの合理性に関する議論にまで展開されたものは稀有と思います。 本研究では,たとえば,特異摂動理論も応用しますが,その応用は数理モデル解析に限らず,それぞれの異なる時間スケールにおける個体群ダイナミクスの特性を表現する数理モデルの構造を明らかにする目的をもちます。 現代の生物個体群ダイナミクスの数理モデル解析では,古典的な数理モデルを基礎・基盤として発展した数理モデルを扱ったものが多いといえますが,生物現象が内在的に異なる時間スケールをもつ複数の過程から成る場合には,古典的な数理モデルからの発展版における新しい数学的構造がそれらの異なる時間スケールをもつ構成過程の間の相関と合理的な整合性をもつかどうかについては全く議論されていない場合がほとんどです。

 実際, Seno (2016) によるメタ個体群ダイナミクスの数理モデルに関する研究においては,パッチ状に空間分布する局所的生息域間での生物個体の分散過程の時間スケールと各生息域の状態遷移の時間スケールの間の明白な違いに着目して数理モデリングの検討を行なった結果,メタ個体群ダイナミクスに関する古典的なLevinsモデルについての 発展性についての限界が明確に示され,メタ個体群ダイナミクスにおけるLevinsモデルからの発展による理論研究には再検討も要されるものがあり得ることがわかっています。また,飛沫感染による感染症の伝染ダイナミクスに関しては,飛沫への接触過程による感染と,感染者体内での病原体の増殖との間の時間スケールの違いに着目した数理モデリングを検討した結果,時間スケールの違いによる準定常状態近似(quasi-stationary state approximation; QSSA)の適用により導出される縮約モデルは,感染症の伝染ダイナミクスの基本モデルとしてよく知られるKermack--McKendrick SIRモデルと数学的には同等ながら,そこから導かれる(疫学でも重要な指標として扱われる)基本再生産数R0の表式には,生物学・疫学的に重大な相違点が現れる結果が得られています。

 このように,現象を構成する複数の過程における時間スケールの差の効果をブラックボックス化した古典的な数理モデル,また,それを基盤とする発展的な数理モデルにおける 構造の数理モデリングの観点からの合理性の検討に関して,現象を構成する複数の過程の時間スケールの違いに着目した数理モデリングの理論が有意義であることは明白です。 そして,上記の通り,複数の時間スケールを導入した数理モデリングから縮約して導かれる数理モデルと,従前の数理モデルとの対比による議論によって提出される,新しい数理モデリング,数理モデルの新奇な構造は,数理モデルを活用した理論研究の水平をさらに広げ,今後の様々な数理モデル研究の新しい契機を提供できると期待しています。



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□ 感染症伝染ダイナミクスの離散時間モデルの数理的構造に関する研究

 本研究では,感染症の伝染ダイナミクスに関する新しい非線形差分方程式系による離散時間モデルの構成とその数理的解析を体系的に行うことによって,その構造(関数形etc. )の合理性[生物現象の構造との論理的な整合性]について体系的に数理的な考察を行います。これにより,近年,数理生物学の分野として発展著しい,感染症の伝染ダイナミクスに関する数理モデル研究に新しいモデリングのための数理的基盤を提供することを目指しています。

 昨今,生態学のみならず,とりわけ,疫学において,数理モデルを用いた研究が急増しており,将来的に問題となりうる可能性のある疫病(たとえば,新型インフルエンザ)やバイオテロリズムなどに関する多様な課題が数理モデルを用いた基礎的研究のテーマとしても取り上げられてきました。そのような状況において,常に議論となるのは,研究対象とする生態現象に対してどのような数理モデルが適切であるか,という問題です。近年の国際会議や出版物において,数理モデルの構造の意味や解釈,それらの教育方法に関する内容が目立って増加しています。本研究は,この問題に直接関わるものです。

 多元系,すなわち,相互作用する複数種の生物個体群動態に対する数理モデルに関しては,歴史的に,もっぱら,非線形微分方程式系による連続時間モデルが適用され,実際の個体群動態の理解において成功を収めてきました。感染症の伝染ダイナミクスに関する数理モデルによる理論的研究も例外ではありません。ところが,生物個体群動態はもちろん,疫学における観測データは,例外なく離散的な時系列として得られます。また,生物個体群の繁殖活動,感染症の感染サイクルは,多くの場合,毎日の生活サイクルに埋め込まれていると考えられます。すなわち,ある感染症への感染機会は,時刻や状況に関係ない任意の時点で起こり得るものではなく,特定の時間帯や状況下のみにおいて起こるものです。また,離散的な時系列データに対する連続時間モデルの適用においては,データ値を与える時点間を数理的(近似的)に補完し,個体群動態を時間連続的な過程としてながめているという見方ができます。このように,感染症の伝染ダイナミクスに対しても,差分方程式系による離散時間モデルの適用が自然である場合も少なくないと考えられるのに,歴史的には,連続時間モデルの適用による理論的研究が主流です。多様な感染症の問題が数理モデル研究のテーマとして取り上げられつつある昨今,離散時間モデルによる研究は,新しい理論的観点を提供する可能性もあると考えられ,本研究は,数理生物学(数理疫学)の発展,さらには,その実際的な応用のための基礎として重要な意義をもちます。

 近年,生態学における個体群動態の連続時間モデルに対応する離散時間モデルの合理的な構造について検討する研究テーマに取り組んできました。それは,合理的で新しい離散時間モデルを開発するための数理モデリングの体系に関する数理的な情報を提供することを目的とし,その研究によって,生物個体群動態についての新しい数理モデルの開発を促進しようとするものです。1958年,P.H. Leslie (1958)によって,非線形常微分方程式系によるLotka-Volterra型2種競争系モデルに対応する非線形2元差分方程式系による離散時間2種競争系モデルが提出されました。その離散時間モデルの構成法は,常微分方程式系の数値計算の際に用いられる差分化スキームに基づくものではなく,元となる連続時間モデルの構造と生物学的な意味づけの対応(解釈)に基づく直感的なアイデアによるものです。近年になって,Leslie (1958)による離散時間2種競争系モデルが元の非線形常微分方程式系によるLotka-Volterra型2種競争系モデルと対応する力学的特性(平衡点の安定性,分岐)をロバストに有すること(=“dynamical consistency”)が数学的に示されました (Cushing et al., 2004; Liu and Elaydi, 2001)。そして,Seno (2003, 2007)では,Leslieのアイデアの拡張的応用によって,個体群動態に対する一般的な常微分方程式系モデルに対して時間ステップの大きさにかなりの自由度をもって,力学的な特性を保持する差分方程式系モデルが構成できることを数学的に示しました。さらに,感染症の伝染ダイナミクスに対する基礎的連続時間モデルであるKermack-McKendrickモデルについても同様にdynamically consistentな離散時間モデルを構築できることも,数値実験も用いた解析で実証済みです。

 感染症の伝染ダイナミクスに関しては,近年になって,基本的な離散時間モデルの数学的な性質に関する研究が進んでいます(たとえば,Franke and Yakubu (2008)およびその参照文献)が,伝染ダイナミクスの数理モデリングについては,離散時間モデルの合理的構造に関する研究は未だ希有です。連続時間モデルに対するdynamically consitentな離散時間モデルの構造に関する上記の研究成果も応用し,伝染ダイナミクスに関する合理的な離散時間モデルの構造に関する研究を進めることは,近年,社会的要請が高まり,発展が期されている感染症伝染ダイナミクスの理論的研究の基礎として重要な意義をもつと考えられます。離散時間モデルの構築については,個体間相互作用に関する仮定の詳細を数理モデリングに導入しやすい手法として,Royama (1992)によって提出された,個体群内の個体群ダイナミクスの確率性を導入する確率過程に平均場近似を適用して導出される差分方程式系による離散時間モデルの構成法(「第一原理」によるモデリングと称される場合もある)やこの構成法から派生したと考えることのできるsite-basedモデル(たとえば,Brännström and Sumpter (2005)参照)を応用することができます。

 本研究の重要な課題は,これまで感染症の伝染ダイナミクスに関して用いられてきた,基本的な常微分方程式系による連続時間モデルと対置できる差分方程式系による合理的な離散時間モデルを構築し,対照すべき連続時間モデルとの数学的性質の相違を明確にすることによって,離散時間モデルによる新しいモデリングの可能性を数理的に明確にすることです。研究初段階では,代表的な感染症伝染ダイナミクスの連続時間モデルと同等の仮定の下で構築した離散時間モデルの数理的性質について研究を行いました。常微分方程式系による,Kermack-McKendrickモデルを代表とするSIRモデル,その特殊な応用系であるSISモデル,mass-action型(Lotka-Volterra型)相互作用による潜伏期や免疫失活を導入した発展系,あるいは,ratio-dependent型相互作用による同様の数理モデルは,感染症の伝染ダイナミクスに関する基礎として広く応用され,数学的にも研究されてきましたが,対応する離散時間モデルに関する数学的研究,その相違に関する研究は未だ十分になされていません。離散時間モデルを構成した上で,対応する連続時間モデルとの数理的性質についての相違を明確にするための解析を進め,離散時間モデルの数理的な構造の合理性,(連続時間モデルに対比しての)特異性,発展性について議論を展開しています。さらに,応用・発展する際の有利・不利を明らかにするために,具体的な感染症の問題に対して本研究によって構成される離散時間モデルを適用した理論的考察を試みています。

 特に,感染症の伝染ダイナミクスにおいては,基本再生産数(basic reproductive number)R0の評価が重要です。R0は,感染者が感染症を伝染不可能な状態になるまでに感染症を伝染させた未感染者の期待数にあたり,考えている集団への感染症の侵入条件にも対応する,伝染ダイナミクスを特徴づける無次元量,そして,感染症の特性,隔離やワクチン接種などの対策,感染経路なども反映しうる量です。数理モデルから導出・評価すべき無次元量の一つであり,もちろん,数理モデルの数理的構造に大きく依存します。本研究課題では,構成された離散時間モデルについてR0を導出・評価し,数理生物学(数理疫学)的意味を解釈するとともに,対応する連続時間モデルに対して得られるR0との比較を行いました。このことにより,離散時間モデルと,対応する連続時間モデルの間の相違をより明確に議論・理解でき,離散時間モデルの特性を浮き彫りにできるはずです。

 これまで独立に研究されてきた連続時間モデルと離散時間モデルの間の比較を行う数理的な研究は希有です。しかし,それらの関連性を明らかにすることによって,より適切で合理的な数理モデリングの考え方を提示できるはずです。また,本研究が扱う離散時間モデルは,常微分方程式による連続時間モデルのいわゆる「離散化」によるものとは一般的に異なり,その数理的な構造は決して自明なものではなく,新しい数理モデルの提案と解析の研究となる可能性も期待できます。



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□ 離散時間モデルによる個体群動態論再考

 生物現象に関する観測データは,例外なく離散的な時系列として得られる一方,ほとんどの場合,微分方程式系による連続時間モデルが理論的研究では用いられてきました。とりわけ,多元系,たとえば,相互作用する複数種の生物個体群動態に対する数理モデルに関しては,歴史的に,もっぱら,非線形微分方程式系による連続時間モデルが適用され,実際の個体群動態の理解において成功を収めてきたと考えられています。離散的な時系列データの表す生物現象への連続時間モデルの適用が歴史的に成功を収めてきたのはなぜでしょうか。そこで,本研究では,これまで独立に研究されてきた連続時間モデルと離散時間モデルの間の関連性を明らかにするとともに,離散時間モデルの合理的な構造について体系的に検討することにより,生物現象に対するより適切で合理的な離散時間系における数理モデリングの考え方を提示し,従来,連続時間モデルによって議論されてきた個体群動態論における新しい問題点や考え方を提供することを目指します。

 本研究では,生物現象に関して,数理生態学の歴史においてほとんど独立に構築され,理論的研究に用いられてきた非線形差分方程式系による離散時間モデルと非線形微分方程式系による連続時間モデルの間の関連性を数理的に検討しつつ,離散時間モデルの構造(関数形 etc.)の合理性[生物現象の構造との論理的な整合性]について体系的に数理的な考察を行います。また,もっぱら非線形微分方程式系による連続時間モデルを用いた数理的考察により展開されてきた理論個体群動態論に対して,非線形差分方程式系,あるいは,微分差分ハイブリッド系による合理的な数理モデルを改めて構築・解析することにより,これまで見えていなかった論点や新しい考え方を生態学に提示することを目的としています。

 多元系,すなわち,相互作用する複数種の生物個体群動態に対する数理モデルに関しては,歴史的に,もっぱら,非線形微分方程式系による連続時間モデルが適用され,実際の個体群動態の理解において成功を収めてきたと考えられるので,それらの連続時間モデルに対応する離散時間モデルの合理的な構造について検討することにより,合理的で新しい離散時間モデルを開発するための数理モデリングの体系に関する数理的な情報を提供できると期待できます。

 昨今,生物現象の研究において,数理モデルを用いた研究がさらに急増しています。数理モデルを応用した研究の有意義性がより強く認識されてきたことと,数理モデルの解析がコンピュータを用いてより手軽にできるようになったことがそれを後押ししていると考えられます。このような状況において,常に議論となるのは,研究対象とする生物現象に対してどのような数理モデルが適切であるか,という問題です。数理モデルの数理的構造の合理性,整合性についての理解に誤解があれば,その研究成果に基づく生物学的な議論における信憑性が損なわれます。この問題を直に扱う数理的研究は未だ多くはありませんが,近年の国際会議や出版物において,数理モデルの構造の意味や解釈に関する発表内容,あるいは,それらをキーワードとしたセッションが目立って増加していることは事実です。本研究は,この問題に直接関わるものでもあります。

 生物現象に関する数理モデルには,大きく分けて,差分方程式系による離散時間モデルと微分方程式系による連続時間モデルの二つのタイプがあります。歴史的に有名で,かつ,応用にもしばしば供されている離散時間モデルのほとんどが,歴史的には,微分方程式(系)による連続時間モデルとは独立に構築され,解析されてきました。

 生物現象における観測データは,ほとんどの場合,離散的な時系列として得られる一方,大抵,微分方程式系による連続時間モデルが理論的研究で用いられてきました。離散的な時系列データに対する連続時間モデルの適用においては,データ値を与える時点間を数理的(近似的)に補完し,生物現象を時間連続的な過程としてながめているという見方ができます。この見方は,たとえば,個体群動態における増殖過程のもつ時間スケール(たとえば,引き続く増殖過程間の最短時間)がデータ値を与える時点間隔よりも十分に小さい場合や,逆に,十分に大きな場合には,適切な場合があるでしょうが,多くの場合,これらの二つの時間スケールのオーダーは近いものです。多くの昆虫や植物の場合のように,これらの二つの時間スケールが一致している場合,連続時間モデルの適用における,データ値を与える時点間の補完部分は,生物学的に意味を持ちません。なぜならば,生態学的には,データ値を与える時点間では,個体群動態の過程はほとんど無視できる(実際,個体群サイズ変動がほとんどない)のですから。よって,このような場合,連続時間モデルの適用における,データ値を与える時点間の補完部分は,単なる,数学的便宜による補完(あるいは,近似)を与えるものとしてしか解釈できないと考えられます。このように考えてみると,差分方程式系による離散時間モデルの適用が自然であると考えられるのに,上記のように,歴史的に,連続時間モデルの適用による理論的研究が成功した例が少なくありません。

 離散的な時系列データの表す生物現象への連続時間モデルの適用が歴史的に成功を収めてきたのはなぜでしょうか。(ここでは,数学的な取り扱いやすさから,差分方程式系より[常]微分方程式系が用いられてきたという別の理由は問いません)

 時間離散的な過程に対する連続近似が成功しているという見地に立てば,逆に,数理モデルによって与えられる時間連続な過程の離散的な時点列における系の状態(たとえば,個体群サイズ値)の与える数列を表現する離散時間モデルを与えられた連続時間モデルから導出,あるいは抽出することができるかもしれません。少なくとも,その定義されるべき離散時間モデルの構造上の特性を検討することができるはずです。これは,力学系理論におけるPoincar`e写像の概念にも似た考え方といえるでしょう。

 1958年,P.H. Leslieによって,非線形常微分方程式系によるLotka-Volterra型2種競争系モデルに対応する非線形2元差分方程式系による離散時間2種競争系モデルが提出されました。その離散時間モデルの構成法は,常微分方程式系の数値計算の際に用いられる差分化スキームに基づくものではなく,元となる連続時間モデルの構造と生物学的な意味づけの対応(解釈)に基づく直感的なアイデアによるもの,すなわち,数理モデルとしての意味から構築されるものであり,数学的に元の連続時間モデルから導出されたものではありません。ところが,驚くべきことに,その離散時間モデルは,離散時間ステップの大きさに対して高いロバストネスで,元となる連続時間モデルの定常解の特性を定性的に保持できる(“dynamically consistent”な)ものでした。しかし,彼は,定常解の特性をどの程度まで定性的に保持できるかについての数学的な議論は行っておらず,近年になって,Liu and Elaydi(2001)やCushing et al.(2004)によって,Leslieによる離散時間2種競争系モデルが元の非線形常微分方程式系によるLotka-Volterra型2種競争系モデルと対応する力学的特性(平衡点の安定性,分岐)をロバストに有することが数学的に示されました。一方,近年,Seno (2003)は,単一種個体群動態に対する一般的な1次元常微分方程式モデルに対するLeslieのアイデアの拡張的応用によって,時間ステップの大きさにかなりの自由度をもって,力学的な特性を保持する1次元差分方程式モデルが構成できることを数学的に示しました。さらに,Seno (2007)は,Lotka-Volterra型prey-predator系モデルについて,対応する力学的特性をロバストに有する差分方程式系を導出し,離散時間モデルとしての解釈が合理的にできることを示しました。また,その離散時間モデルを多種系に拡張することによって,複数のpreyとpredatorがなす2栄養段階からなる一般的なprey-predator系に対する離散時間モデルを構成することができました。

 そして,その数理モデルの構成手法を応用し,農業における「誘導多発生(resurgence)」現象(害虫防除に農薬を使用した結果,逆説的に害虫密度が増大する現象)に関する新しい離散時間モデルを構成し,解析しました。誘導多発生現象は,農薬による派生現象としての天敵減少や害虫の生理的変性,あるいは,薬剤耐性の顕在化を原因として議論されてきましたが,Nicholson-Baileyモデルを元にした新しい離散時間モデルの解析結果から得られる理論的結果として,その害虫が属する生態系に内在する種間関係のみで誘導多発生現象が生起しうることが示され,観測されてきた誘導多発生にもこの生態学的要因によって生起したものも少なくないのではないかという示唆が得られました(Matsuoka and Seno, 2008; 瀬野, 2008)。そして,この研究成果を,より一般的な寄生者−宿主(あるいは,捕食者−被食者)系離散時間数理モデルの族について拡張しました(瀬野, 2008; Seno, 2009)。また,単一種個体群動態に対する一般的な1次元差分方程式モデルについても,駆除/間引きを導入した数理モデルの解析を行い,誘導多発生現象が生じうる一般的な条件が得られました(Seno, 2008)。ただし,単一種個体群動態に対して誘導多発生現象が生じる条件の下でも,その単一種に対する天敵が導入された場合に誘導多発生現象が生じるとはいえません。また,単一種個体群動態に対して誘導多発生現象が生じない場合であっても,天敵が導入された系では誘導多発生現象が生じうることも明確に示されています(瀬野, 2008; Seno, 2008, 2009)。これらの研究成果は,食物網における多様性維持機構に関する理論的考察に応用でき,新しい多様性維持機構の側面を論ずることに発展させうるものです。

 これまで独立に研究されてきた連続時間モデルと離散時間モデルの間の関連性を明らかにすることによって,より適切で合理的な数理モデリングの考え方を提示できるはずです。非線形微分方程式系による複数種個体群動態に関する数理モデルに「対応する」差分方程式系による離散時間モデルが考察された研究は,歴史的にも非常に希であり,近年になって,Liu and Elaydi (2001)やMickens (2003),Cushing et al. (2004),Mounim and de Dormale (2004),Roeger (2005, 2006)らによって,Lotka-Volterra系常微分方程式系について,対応する力学的特性をロバストに有する差分方程式系の導出に関する数学的な研究が展開されてきました。しかし,それらの研究は,離散時間モデルとしての差分方程式系を取り扱うものではなく,導出された差分方程式系の構造を数理モデルとして理解できるかについては議論されていません。離散時間モデルの数学的構造の数理モデリングとしての合理性を議論するものでもありません。また,それらの研究によって議論されてきたLotka-Volterra系は2種系にとどまっており,複数種個体群動態についての離散時間モデルの研究は,相当に未開拓です。本提案研究はこれらの未開拓なテーマに取り組もうとするものであり,その成果が新しい数理モデル理論,解析の展開につながることが期待できます。

■STEP1. P.H. Leslie (1958)のアイデアの拡張により,Lotka-Volterra型餌?捕食者系モデルのみならずKermack-McKendrick伝染病モデルなどの歴史的に有名な他の2種個体群動態に関する連続時間モデルに対する離散時間モデルを構成し,その解の構造と元の連続時間モデルの解の構造の数学的な比較を行います。

前出のP.H. Leslie (1958)による連続時間モデルからの離散時間モデル構成法について,単一種個体群動態についてのより一般的な(1次元)数理モデルについての独自の拡張を行い,1次元非線形常微分方程式による連続時間モデルから導出された1次元非線形差分方程式による離散時間モデルに関して,元の連続時間モデルの平衡点の存在性と局所安定性がどのように保持されているかを数学的に詳細に検討しました(Seno,2003)。結果,導出される離散時間モデルは,元の連続時間モデルと同一の平衡点を持ち,その存在性も常に一致する上,時間の差分(時間ステップ)の大きさに対して高いロバストネスで平衡点の局所安定性を保持できることを数学的に示しました。特に,元となる連続時間モデルを与える常微分方程式のある族に対しては,導出される離散時間モデルは,時間の差分の大きさによらず,同一の平衡点の局所安定性を保持することがわかっています。この研究結果は,特定の連続時間モデルと特定の離散時間モデルを比較し,それらの関連性を論じたものではありません。しかしながら,その研究結果より,対象とする同一の生物個体群動態に対して,ある連続時間モデルとそれに「対応する」離散時間モデルを適用できる可能性が示されました。すなわち,それらの連続時間モデルと離散時間モデルが関連する数理モデルとして理解できる可能性があり,それらのモデルの持つ数学的構造(関数形 etc. )の数理モデリング(数理モデルへの導入・表現)としての関連性を示唆しています。非線形微分方程式系による2種以上の相互作用する個体群動態に関する数理モデルに「対応する」離散時間モデルが考察された研究は希有です。実際,2種以上の個体群動態に関する数理モデルは,もっぱら,非線形微分方程式系によるものであり,差分方程式系による離散時間モデルによる研究は,歴史的にも非常に希です。単一種個体群動態に対する数理モデルについては,比較的多くの離散時間モデルが用いられてきたのに対し,複数種個体群動態については,離散時間モデルの研究は,相当に未開拓です。

本研究課題においては,前出の研究成果を応用し,数値計算も適宜利用することによって,Lotka-Volterra型prey-predator系モデルのみならずKermack-McKendrick伝染病モデルなどの非線形常微分方程式系による歴史的に有名な連続時間モデルに対する離散時間モデルを構成し,その解の特性と元の連続時間モデルのそれとの数学的な比較を行います。具体的には,数値実験により,どの程度まで,元の連続時間モデルの解の特性を,対応する離散時間モデルの解が保持しているかを調べます。数学的には,平衡解の特性(存在性,安定性を含む)の対比が最初のステップとなります。この解析により,より一般的な2種個体群動態に関する連続時間モデルに「対応すべき」離散時間モデルの構造に関する手がかりを探します。

■STEP2. 研究STEP1の成果を発展させ,数理生物学における数理モデリングにおける合理的な離散時間モデルの構造についてより体系的な議論を展開します:

1. STEP1による研究成果に基づき,相互作用のある2種以上の個体群動態についてのより一般的な連続時間モデルから離散時間モデルを導出し,その解の特性の数学的な検討を行い,元の連続時間モデルの解の特性との数学的比較をまとめます;
2. 生物個体群動態における密度効果や種間相互作用の数理モデリング(数理モデルへの導入・表現)に関しての合理性[生物現象の構造と数学的構造の間の論理的な整合性]を離散時間モデルについてまとめます。

2種以上の個体群動態に関する連続時間モデルに「対応すべき」離散時間モデルが考察された研究は希有です。また,ある特性をもつ連続時間モデル族に対する離散時間モデル族,といった,より一般的な数学的取り扱いも,知る限りにおいて現在まで行われていません。上記の課題1は,前出の研究STEP1における2種以上の個体群動態に関する具体的な連続時間モデルから導出された離散時間モデルの解析結果をもとにして,2種個体群動態に関する数理モデルのより一般的な数理的研究を目指したものです。

さらに,その研究成果をもとに,既存の数理モデルの構造の合理性の検討を行います。有名な離散時間モデルは,連続時間モデルほど多くはありません。たとえば,その中でも特に有名なNicholson-Bailey型宿主?寄生者モデルは,差分方程式系による2種個体群動態に関する離散時間モデルですが,対応する連続時間モデルについて検討された研究について,少なくとも知りません。この研究成果によって,既存のモデル間の新しい関連性を明らかにする手がかりを得ることができると期待できます。それは,将来の新しい数理モデルの開発にも寄与できるはずです。課題2では,これらの一連の研究成果,および,関連する諸研究の成果を体系的に蓄積しつつ,生物個体群動態の数理モデリングにおける密度効果や種間相互作用の合理的な導入について整理します。たとえば,Allee型密度効果を数理モデルの構造としてどのように表現するかは,連続時間モデルと離散時間モデルでは異なってくるべきです。そこにどのような数学的な構造の違いがあり,それは,どのように数理的,数理生物学的に理解できるのかをまとめます。

■STEP3. STEP1, STEP2の研究成果に基づいて,多種系個体群動態に関する離散時間モデルを改めて構築・解析することにより,従来の理論個体群動態における課題を再検討し,これまで見えていなかった論点や新しい考え方を提示する研究を展開します。

既に,農業における「誘導多発生(resurgence)」現象(害虫防除に農薬を使用した結果,逆説的に害虫密度が増大する現象)に関する新しい離散時間モデルを構成し,解析しました。誘導多発生現象は,農薬による派生現象としての天敵減少や害虫の生理的変性,あるいは,薬剤耐性の顕在化を原因として議論されてきましたが,Nicholson-Baileyモデルを元にした新しい離散時間モデルの解析結果から得られる理論的結果として,その害虫が属する生態系に内在する種間関係のみで誘導多発生現象が生起しうることが示され,観測されてきた誘導多発生にもこの生態学的要因によって生起したものも少なくないのではないかという示唆が得られました(Matsuoka and Seno, 2008; 瀬野, 2008)。そして,この研究成果を,より一般的な寄生者−宿主(あるいは,捕食者−被食者)系離散時間数理モデルの族について拡張しました(瀬野, 2008; Seno, 2009)。また,単一種個体群動態に対する一般的な1次元差分方程式モデルについても,駆除/間引きを導入した数理モデルの解析を行い,誘導多発生現象が生じうる一般的な条件が得られました(Seno, 2008)。ただし,単一種個体群動態に対して誘導多発生現象が生じる条件の下でも,その単一種に対する天敵が導入された場合に誘導多発生現象が生じるとはいえません。また,単一種個体群動態に対して誘導多発生現象が生じない場合であっても,天敵が導入された系では誘導多発生現象が生じうることも明確に示されています(瀬野, 2008; Seno, 2008, 2009)。これらの研究成果は,食物網における多様性維持機構に関する理論的考察に応用でき,新しい多様性維持機構の側面を論ずることに発展させうるものです。本STEP3では,特に,複数種の個体群の共存に関する理論生態学の諸課題を離散時間モデルによって再検討することを出発点としたいと考えます。

 歴史上,微分方程式系を用いた連続時間モデルについて至上主義があるわけではなかったのですが,個体群動態論における数理モデルは,ほとんどが連続時間モデルであり,離散時間モデルによる理論構築はまれな研究であったことは事実です。差分方程式をもちいた離散時間モデルでは,数理モデリングにおいて,実際の生態現象における事象の時系列(生活史,捕食や寄生の時期など)を陽に組み込める利点がある一方,たしかに,過去においては,離散時間モデルの解の特性の解析には,数学的な困難も多かったのです。しかしながら,現在,その数学的な困難を補うだけのPCのパフォーマンスが容易に入手できる時代となり,その効率は加速的に上がりつつあります。この意味で,数値計算上の困難が比較的起こりにくい離散時間モデルによる理論的研究はもっと行われることが自然ですが,これまで,個体群動態に関する離散時間モデル,そのモデリングが体系的に検討されてきたことは希有でした。本研究は,この先鞭となる体系的な研究の一翼を担うものです。これまでの連続時間モデルを用いた理論に対して,新しい離散時間モデルによる理論が数理生態学に新しい問題を提起する可能性もあります。

 本研究の成果により,これまで,個々の研究者が個別に提出してきた数理モデルの間の関連性について新しい知見,あるいは,新しい観点を得ることもできると期待できます。それは,研究対象となる生物現象に対する数理モデルを構成する場合に合理的,論理的整合性のある数理モデリングを行う上で重要な情報です。

 本研究により,離散時間モデルの数理モデリングに関する新しい知見が得られると期待できます。とりわけ,離散時間モデルの数値計算においては,連続時間モデルに比べ,数値計算スキームの適合性についての注意が不要です。この点において,離散時間モデルは数値計算に供しやすい数理モデルであり,今後,さらに高速化・大容量化が加速すると思われるコンピュータをツールとする数値計算による数理モデル解析による新しい研究の展開への応用も大いに期待できます。既に述べたように,ほとんどの生物現象研究で得られるデータは時間離散的であり,また,多くの生物現象が時間離散的に生起していることも事実です。合理的,論理的整合性のある離散時間モデルの数理モデリングについての数理的な情報は,新たな数理モデル研究における数理モデリングの合理的選択肢(連続時間モデルか離散時間モデルか,離散時間モデルならばどのようなものとすべきか)を提供してくれるはずです。生物現象に対する数理モデルを用いた研究は,近年,ますます広がっていますが,数理モデルの数理的構造の合理性,整合性についての理解に誤解があれば,その研究成果に基づく生物学的な議論における信憑性が損なわれます。この意味で,今後ますます広がるであろう数理モデル研究の発展に対する本研究の寄与は明らかです。



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□ 分断された環境内における生物個体群動態に関する数理モデル研究

 生物集団の生息する環境は,一般に,均質ではなく,不均質性はそこに生息する生物にとって,その存続や,他の生物との関わり合いに関して重大な意味をもちます。近年,人工的な環境の撹乱が生物種の保存に与える影響を危惧する論争が多く見られます。特に,人工的な環境の分断化,こま切れ化における生息生物への重大な影響はフィ−ルドデ−タなどの生態学的知見が次々と提出されてきました。一方で,分断,こま切れ化された環境内での生物個体群動態を考察する数理的アプロ−チも20世紀の末から盛んに行われています。本研究は,分断化された環境が重大な関わりを及ぼすと考えられる生物個体群の「移動分散」に特に着目します。移動分散する個体群の存続にとって,どのようなこま切れ環境が深刻な影響を与えるのか,それを考察する基本的な数理モデルを構築し,解析することが目的です。

 生物個体群がパッチ状環境の中で存続するためには生息域のサイズに最小限の閾値があることがプランクトンをはじめとして様々な生物において示されており,いわゆる「クリティカル・サイズ」の問題として理論的関心を集めてきました。1つの孤立したパッチに注目し,その内部で増殖と拡散をおこなっている生物個体群の動態を拡散反応方程式の境界値問題として扱う数理モデリングはこのクリティカル・サイズ問題に対する重要な数理的研究の一つです。一方,実際の生物環境では,生息に適した環境と不適な環境がパッチ状に分布していて,その間を生物が移動分散している状況が一般的です。こうした系に着目して,環境を複数の孤立したパッチからなる離散的空間とみなし,これに対して移住過程を表現する離散拡散反応方程式系を数理モデルとして取り上げた数理的研究も意義深いと考えられます。

 これまで,クリティカル・サイズ問題に関わる,生物個体群の生息域の空間不均質性と存続を議論するための拡散方程式モデルを構成し,数値計算を用いた解析の結果,および,絶滅解(ゼロ解)の局所安定性を固有値解析によって調べた結果から以下の結論を得ました:

1. ある生息域が単一のパッチとして孤立しているような環境において,パッチを含む環境の周期的(季節)変動が場所に無関係に一様に起こるような場合は,その時間変動の様相がいかなるものであっても,個体群の存続は時間平均した環境の空間不均質性のみで決まるのに対し,生息域のサイズ自身が季節変動する場合(湿地帯のサイズの季節変動や潮干帯が想起できる)には,そのサイズ変動のない場合に比べて,個体群の存続は難しくなります。種間競争や生態的撹乱のもつ個体群存続への正の効果は,環境の時間変動がもつ負の効果よりも強いか,その負の効果を補う何らかの存続戦略を個体群がとっている場合に明白に現われうるのではないかと思われます。(瀬野[京都大学修士論文], 1986;瀬野, 1989)

2. 孤立パッチ環境内に存在する特異な領域(殺虫剤の散布による局所的な環境悪化が想起できる)がいかなる影響を個体群の存続に与えるか,という問題については,パッチ環境内におけるその局所的異質領域の位置によって個体群の存続が大きく左右されることが導かれました。もし個体群がその移動分散の速度をこの異質領域内で変えるとすると,その速度の選択によっても個体群の存続は影響を受ける。移動分散の仕方が存続戦略として重要な要素になりうることを示唆しています。(Seno, 1991)

 環境が複数の孤立したパッチ環境からなる場合に対応して,その環境内で移住分散している生物個体群の存続に関する環境の影響を議論するために構成した離散拡散反応方程式系モデルについては,特に,いくつかのパッチ環境が1次元上に分布し,その中に他のパッチと環境条件の異なるパッチが1つ混在している場合[CASE1](Seno, 1988),二種類のパッチ環境がある比で混在している場合[CASE2](Matsumoto and Seno, 1995)のそれぞれについて,絶滅解(ゼロ解)の局所安定性を固有値解析によって調べることによって,以下の結論を得ています:

1. 個体群の存続に関して,系の総パッチ数についてある閾値が存在し,それより総パッチ数が多いときにのみ個体群は全体として存続できます。この閾値は,CASE1の場合,特異パッチの特性およびその配置に強く依存します。特異パッチが個体群の存続に及ぼす影響は,その位置が系の中央部にある程大きくなります。すなわち,特異パッチが他のパッチに比べてより好適な環境を有する場合,それがある閾位置より系の中央部に位置すれば個体群は存続するのに対して,その外では絶滅します。反対に,特異パッチがより不適な環境を有する場合には逆の性質を示します。CASE2の場合には,この閾値は,二種類のパッチの数比,より多いパッチの有する環境の好適さに依存して決まります。

2. CASE1の場合,系の総パッチ数がある値を越えると,特異パッチの性質に無関係に個体群が存続できる配置が存在します。CASE2の場合には,系の総パッチ数がある値を越えると,より不適な環境をもつ種のパッチの性質に無関係に個体群が存続できるようなパッチの数比が存在します。

 また,捕食効率を下げるために餌食個体群が複数のパッチからなる空間分布様式をその存続戦略として採用し,その分布に対して捕食者が探索様式を変更することによって捕食効率を上げる,という共進化に関する数理モデルを構成し,共進化のゴールとしてパッチ状分布や特定の探索様式(二相探索)が採用されうることも示しています。(Seno, 1991, 1993; Seno and Buonocore, 1991)

 一方,集落を飛び火的につくりながら分布を拡大していく個体群の分布拡大速度について,フラクタル理論を応用して空間の不均質性の影響を考慮にいれた新しい確率過程モデルを構成し,解析しました(Seno, 1993)。この研究を発展させ,Koshiba and Seno (2005)では伝染病を媒介する単位(以後,伝染媒介体と称する)が空間にどのように分布しているかによって伝染病の拡がり方に違いがあらわれてくる可能性を考え,伝染媒介体の空間分布と伝染病の拡がり方との間の関係について考察しました。伝染媒介体を未感染媒介体,感染媒介体,回復媒介体の3種類に分類し,回復した媒介体は二度と感染することはないと仮定する。また,感染,回復は媒介体自体の大きさには無関係であると仮定し,感染,回復のそれぞれの事象は独立したものとして扱います。これらの仮定の下で,媒介体間感染ダイナミックスの数理モデルを構築するために,時刻tにおいて感染した媒介体の延べ数がk個,現在感染している媒介体数がh個である確率P(k, h, t)を考え,P(k, h, t)の時間変動を表す微分方程式を求め,積率母関数を用いて解析を行いました。初期条件としては,感染媒介体が存在しないと感染はおこらないのでk=h=1とします。さらに,伝染媒介体の空間分布と伝染病の拡がり方との関係についての数理モデリングを考えます。伝染病は媒介体を介して伝染が拡まっていくものであるから媒介体がどのように空間に分布しているかは伝染病の拡がり方の特徴に反映されることが予想されます。そこで,本研究では,伝染媒介体の空間配置の特性をフラクタル次元dを使って表します。伝染病の拡がり方の特徴を考えていくために,感染媒介体が存在する地域の広さ,すなわち感染レンジを定義します。感染レンジとは過去に感染した媒介体または,現在感染している媒介体全てを含む最小の円盤領域です。この最小の円盤領域の直径をRとすると,感染した媒介体の延べ数kとフラクタル次元dをk∝Rdのように関係づけることができます。この関係より,感染レンジの広さを感染媒介体延べ数より求めることができ,さらに,感染レンジの直径の時間微分より,伝染病の拡がる速度を求めることができます。上記のように構築した数理モデルの解析結果より,実際の伝染病流行様式と伝染媒介体の空間配置において,たとえば,比較する2つの地域の家屋間の距離が等しい場合,川沿いに連なるように家屋が配置している地域の方が,平野に団子状に密集して集落を成して家屋が配置している地域より,伝染病の汚染域の拡がる速度が速く,感染被害レンジも大きくなる可能性があると考えられます。また,本論文の解析結果では,感染の拡がる速度が一旦減少して,十分に時間が経つと増加に転ずるような時間変化を示す場合があることが示されました。従って,感染初期の感染の拡がる速度が減少しているからといって,感染が衰退していくものとは断言できないといえるでしょう。つまり,感染初期の段階の感染の拡がる速度のみを見て,伝染病が衰退するのか進行し続けるのかという判断をするのは危険であると考えられます。この研究成果をさらに一般の生態系における個体群の空間分布拡大に関する考察に拡張した考察も行いました(Seno and Koshiba, 2005)


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□ 時間的に不連続な生態学的摂動の生物個体群動態に対する効果に関する数理モデル研究

 生態系においては,時間的不連続な生態学的摂動が生物個体群動態に重要な影響を与えます。時間的不連続な生態学的摂動としては,たとえば,洪水や火事,あるいは人間による搾取などが考えられます。また,季節的・一時的な生態学的摂動としては,ある生物個体群に限られた季節にのみ到来する捕食者の影響であるとか,ある限られた期間にのみ栄養を摂取し,その栄養によって再生産を行うような生物個体群動態も考えられます。生物生態系に対するそのような生態的撹乱の様々な影響については,長年,生態学の対象として少なからずの研究が行われており,近年盛んになっている生物保全の議論にも関わるものです。時間的不連続な生態学的摂動が生物個体群動態にどのような影響を与えうるかは,既存生態系に内在する特性に大きく左右されると考えられます。また,系をなすどの要素に摂動が働くかによっても異なると考えられます。たとえば,時間的不連続な摂動が相互作用する複数種からなる生態系に属するある一種の個体群動態(特定種の捕獲などによる個体数変動を含む)にのみ働く場合と,系をなすいずれかの種間関係の強さに働く場合(特定種の保護による競争,寄生などの人工的緩和を含む)とでは,異なった結果を導くでしょう。

 本研究の主眼は,時間的不連続な生態学的摂動に対する複数種からなる生態系の動態の反応に着目する数理モデリング,数理モデルの数理的基礎研究にあります。時間的不連続な生態学的摂動の作用によって複数種の共存の可能性がどのように左右され,その共存様式(平衡状態,振動状態など)がどのような影響を受けるでしょうか。本研究においては,基礎的な二種系に関する数理モデル研究を進めると共に,一般的な多種系に関して数理モデル研究によりどのような数理的な議論が可能かをも併せて議論しています。

 これまで,洪水に代表される河川の撹乱(インパルス型生態的撹乱の一種として位置づけられる)に依存して存続してきたと考えられるカワラノギクなどの河原の植物の動態について,植物個体群動態に関しての基礎モデルとして研究されてきた遷移行列モデルをもとに数理モデルを構成し,その数理的解析を進めてきました(Giho and Seno, 1997; Seno and Nakajima, 1999; Nakajima et al., 2008)。この数理モデルによる研究により,生態的撹乱が生物個体群の存続にとって負もしくは正の影響を及ぼすかは,生物種のもつ特性と撹乱の特性により異なることが示されました。特に,撹乱の発生頻度に関しては,かなり厳しい条件が生物個体群存続には必要であり,その発生頻度が変化することにより生態系に不安定性が生じる可能性が示されます。また,単一種個体群動態に関する基礎的な数理モデルに対するインパルス型生態的撹乱の導入を行い,インパルス型生態的撹乱によって個体群動態の様相が飛躍的に多様になることを数理的解析によりすでに結果として導いてもいます[未発表]。たとえば,Seno (2007)では,競争関係が時間的に間欠的である場合には,ある条件下において,競争種の同所的共存が可能であることを反応拡散方程式系を用いた数理モデル解析の結果によって示しました。生物個体群の動態に影響を与える環境の不均質性には空間的な要素と時間的な要素があり,かなり多くの生態学的研究に伴って盛んに数理生物学的研究もなされてきましたが,これまでの一連の数理モデリングはより具体的な数理モデリングの基礎となりうる独自のものであり,本研究はこれまでの一連の数理モデル研究の新しい展開を担っています。

 生物学と他の自然科学分野との学際領域,特に,生物学と数学の学際領域にある数理生物学で発展し,生態学研究や応用数理の研究に寄与してきた多くの数理モデル研究は,いくつかの基礎的数理モデルの数理的研究をその基盤としています。しかし,時間的不連続な生態学的摂動による生態系の動態変化・安定性に関する数理的研究はこの学際分野においても多くの興味深い課題があり,基礎的な数理モデルの構成,数理的研究も不十分です。基礎モデルの十分な数理的研究が,数理モデリングをさらに発展させる基となり,時間的不連続な生態学的摂動を伴う生態系の動態・安定性に関する生態学研究にも寄与できる数理モデル研究の展開を促すのに必要です。本研究はそのような基礎モデル研究を目指して行われつつあるものであり,生態的撹乱が生態系の動態変化・安定性に及ぼす影響に関して,数理生物学の研究としての数理モデリング,構成された数理モデルの数理的問題点,発展性を議論することを目的としています。理論生物学においても,生態的撹乱が複数種の生物の共存様式や多様性に関わる重要な影響を持つことは議論されてきましたが,数理生物学における,この論点に関わるような数理モデル解析は未だ発展途上であり,特に,複数種生態系に対する時間的不連続摂動の効果を数理モデリングに導入した基礎的数理モデルの研究は今後の発展が待たれるばかりです。

 このようなテーマにおける数理モデル解析に応用できる数理的手法としては,たとえば,応用数理分野のimpulsive equationsがありますが,現在までは,大凡,数学として研究されている段階にあり,数理生物学における数理モデル解析に応用された例は希有です。しかしながら,その研究成果は,数理生物学としての数理モデルの構築,および,その数理的解析に貢献すると期待でき,積極的にその成果を数理モデリングに応用し,数理生物学的研究にも発展させようと考えています。また,時間的不連続な摂動が時間的に有限期間のみ生態系に作用するような場合には,その摂動の期間によって離散的に分断された時間区間の間で変数の間に離散力学系構造を見いだせると同時に,それぞれの連続的な時間区間における連続時間力学系構造を考えることができます。このような,連続時間力学系と離散力学系の連鎖構造は,時間的不連続な生態学的摂動を伴う生態系に関する数理モデリングにおいては,自然と導入されうると考えられ,本研究は,その萌芽的基礎研究を担うものです。また,本研究による数理モデル解析において,応用数理の分野における新たなる研究課題にもなりうるような数理的な問題を提出できる可能性も十分期待できます。

 本研究は,以下に述べる四段階から構成されます:

1. 時間的に不連続な生態学的摂動を導入した単一種生物個体群の動態に関する数理モデルの構成と解析

単一種生物個体群動態にかかわる基礎的数理モデルとしては多くの数理モデルが提出され,研究されてきました。時間的に不連続な生態学的摂動をそれらの数理モデルに導入することによって本研究の対象となる数理モデルを構成し,解析することにより,基礎的な単一種個体群動態モデルにおける時間的に不連続な生態学的摂動の導入の効果に関する結果を整理します。実際,この研究課題の一環として,今後の進展につながる,単一種系の個体群動態に関するいくつかの基礎的な数理モデルに対する時間的に不連続な生態学的摂動の導入を行い,そのような摂動が個体群動態の様相を飛躍的に多様にすることを導いてきました。連続な有限時間区間内における個体群動態を時間連続常微分方程式系による力学系で数理モデリングし,そのような時間連続な個体群動態にそれぞれが従う二つの有限時間区間の間では個体群に対する摂動としての収穫(間引き)が行われるような場合を考察しました。引き続く有限時間区間のそれぞれの最終時刻における個体群サイズの間の関係は,それぞれの有限時間区間における時間連続な個体群動態とその間における収穫の効果によって定まる離散力学系を導きますが,有限時間区間における時間連続な個体群動態として,数理生物学において通用される基礎モデルを設定したとしても,その離散力学系は自明のものではなく,数理的に興味深い性質を持つことがわかっています。

2. 時間的に不連続な生態学的摂動にさらされる複数種生物個体群の動態に関する数理モデルの構成

複数種からなる生態系に対する基礎的な数理モデルとして,本研究では,餌?捕食者二種系や競争二種系に時間的に不連続な生態学的摂動を記述する数理構造を導入することによって数理モデルを構成します。

3. 時間的に不連続な生態学的摂動にさらされる複数種生物個体群の動態に関する数理モデルの数理的解析

構成された数理モデルの解析にあたっては,数学における非線形解析(impulsive equationsの理論も含む)の研究成果を応用するとともに,コンピュータによる数値計算を活用し,数理モデルの性質を明らかにしてゆきます。生物学的な議論を行う場合に必要と考えられるような性質について着目し,数理モデルの解析を行うとともに,数理モデルの数理的な発展性や問題点を議論します。

4. 数理モデルの解析結果の数理生物学的議論

数理モデルの解析によって得られた結果に生物学的な解釈を行い,それらの結果が生物現象に関してどのような意味付けをもつものかを議論します。既に得られている生物学的知見や仮説を対照として考察を深めます。数理モデルによる生物学的議論の限界を明らかにし,さらなる生物学的議論を行うためのモデルの発展性も議論します。



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□ 生物個体群の群れ形成・群れ構造に関する数理モデル研究

 生物個体群が複数のグループからなる構造をもち,集団全体の空間分布が不連続なパッチ(斑)状パターンである場合がしばしば観測され,生態学的に研究されてきました。複数の群れを構成単位とした動物個体群や,村落を単位とした人類の分布がその例です。そのように,生物個体群の持つ集団構造が「群れ」という階層を有する場合には,増殖過程や空間分布拡大のダイナミクスにとって,その階層,つまり,集団が複数のグループからなり,グループの分布が空間的に不連続であることが本質的に重要であると考えられます。したがって,そのような個体群ダイナミクスは,連続な空間分布を持つ集団(たとえば,伝染病,昆虫の繁殖など)の持つダイナミクスとは異なる特質を持っているはずです。そのダイナミクスの特質を議論することは,生態系の構造・安定性にかかわる重要な研究課題です。生態系の安定性(保全)と環境変異(開発など)の間の関係を議論する際の重要な論点を提供できると期待もできます。そうしたダイナミクスの数理的研究は,20世紀末から,群集レベルでの生態学的数理的研究が促されるなかでようやく発展してきたところです。

 生物個体群の群れ形成ダイナミクスの解析は,従来の個体群生態学における数理モデルの扱う個体群密度や個体数といった単位とは階層を異にする個体群構造である「群れ」を扱うことになります。個体間や種間の相互作用の数理的研究は多くの研究者の議論によってその基盤が築かれつつありますが,それに比べて,群れ間での相互作用に関する数理的研究はほとんどなされていません。しかし,もちろん,生態系の階層構造のなかで,個体レベルと種レベル,それぞれにおける群れのダイナミクスに関する数理的研究は,生態系の研究にとって重要な位置を占めていると考えられます。すでに生態学においては,重要な研究課題として,難しいながらも,フィールド研究が進められつつある課題です。

 数理モデルによる本研究課題の目的は,グループをその構成単位とした生物個体群集団の群れ間ダイナミクスにおいて,どのような生態学的問題点が提出できるかを議論することにあります。解析しようとする数理モデルは基礎的なものであり,より具体的に現象を論ずる際の数理的研究の基盤になるものです。一方,生物個体群の群れに関する生態学的研究は少なくありません。それらの知見をこの数理的研究からの知見と合わせることにより,新しい論点を提出できる可能性もあります。また,群れレベルの数理モデルは,たとえば,文化人類学の研究にも応用できると期待されます。人類の空間分布の拡大は,多くの場合,集落や村単位でした。したがって,集落や村の形成ダイナミクスを論ずる際の新しい観点を提供できるとも期待されます。(Seno, 1993)

 この研究課題は、以下に述べる三段階から構成されます:

1. 群れ成長過程における最適群れサイズに関する数理モデル解析

生物個体群の群れ形成に関するダイナミクスを考察するため,最適群れサイズがどのようにして決まるかについての数理モデルを構成し,解析しました。最適群れサイズに関しては,個体の適応度を基準とした理論がありますが,群れの融合や分裂,群れ間の個体や小集団の移住,群れ内での群れサイズ維持過程を考慮した議論は希有です。本研究のこの段階では,それらの過程を考慮にいれた集団内の個体の適応度を用いて,群れサイズが成長してゆく場合に選択されてゆく最適群れサイズの数理的解析を行いました(Seno, 2006)。この最適群れサイズの解析は,群れ形成の動的ダイナミクスに関する数理モデルを構成するうえで必須の要素です。解析においては,確率過程,差分方程式の理論が応用され,コンピュータによる数値実験も重要な手段として用いられています。

2. 複数の群れからなる群集の構造に関する数理モデル解析

前記の数理モデル解析の結果を用いることにより,群れ形成の動的なモデルを構成します。それは,移住,融合,分裂の各形成過程要素を確率過程によって結合した数理モデルです。群れのダイナミクスに関して,そのような数理モデル解析は従来なかったものです。この数理モデルの解析においては,集団遺伝学や統計力学における格子空間上のダイナミクス解析の結果が応用できる可能性もあります。構成された数理モデルについては,その平衡状態における群れサイズ分布(頻度分布および空間分布)の解析,及び,非平衡状態における群れサイズのダイナミクスを特徴付ける統計力学的解析を数学的手法およびコンピュータによる数値実験によって行なうことを目標とします。近年,特に注目を集め始めているindividual-based modelも応用できるかも知れません。この段階の数理モデル解析によって,従来,伝統的に行なわれています,生態学のフィールド研究において注目すべき重要な因子を抽出できると期待できます。

3. 数理モデルの生態学的知見,データへの応用

数理モデルを解析することによって得られた結果を生態学研究から得られた知見やデータに応用することを試みます。この段階では,新しい生態学的知見を導きだすための考察と併せて,モデルと現象との対照により,モデルの仮定および仮説の検証を行ない,モデルの適用限界およびモデルの発展の方向を調べます。

特に,以下に示す2つの現象について,モデルの解析結果を応用した議論を行なう可能性があります:

1. 硬骨魚の稚魚個体群のつくる集合パターン解析:Seno (1990, 1991)では,営巣する魚の稚魚の成す群れパターンを数理モデリングする,拡散係数が密度に依存する形の拡散方程式を構成し,その数理モデルによって群れ内の様々な個体群密度分布が,込み合い嫌い度と集中傾向度をそれぞれ表すパラメータによって類別されることを示し,群れパターン解析への応用の可能性を提出しました。数理モデルは,Teramoto and Seno (1988)による先行研究を元にしたものです。この研究成果を用いて,生態学研究者,中井克樹氏(現滋賀県立博物館)による観察データをもとに,硬骨魚の稚魚個体群の集合パターンのサイズ分布に関する最適性に関する議論を試みました (Seno, 1993; Seno and Nakai, 1995)。

2. ダマジカのレックの動態に関する解析:多くの生態学的議論がなされながら,未だ多くの問題を含む,動物個体群の繁殖期集合パターンであるレックに関して,特に,ダマジカのレックをとりあげ,その形成過程,最適性および群れ内ダイナミクスについての知見を得ることを試みました。生態学研究者,長谷川真理子氏(総合大学院大学)とは,既に,同現象に関する数理的な研究の議論を行なっており,レックにおけるハーレム・サイズ分布に関する数理モデルを待ち行列理論を応用して構成し,観測データからの知見との比較も試みました(Seno and Hiraiwa-Hasegawa[未発表])。


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□ 生物群集の多様性に関する数理モデル研究

 複数の種が生息する環境における種の多様性に関しては生態学的な様々な問題があります。その中で,特に,個体群サイズ?ランク関係に関する数理モデルを構築し,解析してきました。生態学においてしばしば観測されてきたいくつかのサイズ-ランク関係に関してダイナミカルな説明は未だ不十分であるといえます。この研究課題の目的は,ダイナミカルな数理モデルから得られるサイズ-ランク関係に関する解析によって観測によって得られてきたサイズ-ランク関係のダイナミカルな意味付けを試み,生態学的な議論の論点を提供することにあります。

 非線形拡散方程式系によって,好適な場所に集中する複数種の生物個体群の間の競争排除効果を表現する数理モデルを構成し,定常群集において得られるサイズ-ランク関係についての解析を行なった結果,生態学で有名ないくつかの理論的サイズ-ランク関係は非常に特殊な場合として実現されることが導かれています(瀬野, 1991; Seno, 1993)。その場合,一般的に導かれるサイズ-ランク関係は,理想的なそれらからは特徴的なずれを示し,そのずれの特徴が,従来,観測によってえられてきたサイズ-ランク関係により近い傾向を示していることから,種間の競争排除効果の強さが種によってランダムに異なることが実現するサイズ-ランク関係の特徴に大きく寄与していることが予想されます。

 一方,「群れ」という単位からなる群集を考え,その群れのサイズ-ランク関係を理論的に議論することは,多くの生物個体群の群集構造を考察するうえで有益であると考えられます。そこで,複数の群れからなる単一種個体群集において,各々の群れがそのサイズをロジスティック的に成長させ,その成長過程において,最小単位の群れを生成してゆくという動態を表現する数理モデル解析を行いました(Seno and Matsumoto, 1996)。この最も基本的な数理モデルは,群集の年齢構造ダイナミクスを記述するvon Foerster方程式と呼ばれる楕円型偏微分方程式の一種によって表現できます。実際に観測できるサイズ-ランク関係は,定常的に存続している群集に対するものであることに着目して,数理モデルの定常状態におけるサイズ頻度分布の性質を考察することによって,ふたたび,生態学で有名ないくつかの理論的サイズ-ランク関係が非常に特殊な場合として実現されることが導かれました。さらに,この数理モデルに対応する理論的群集を対照とすることによって,それらの有名な理論的サイズ-ランク関係が異なるダイナミクスを秘めた群集動態に対応するものであることが明確に示されました。


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□ フラクタル理論を応用した生物現象の数理モデル研究

 フラクタル理論に関わる様々な概念の研究が物理学,数学の分野で特に1980年代に盛んに行なわれ,その後,その理論自身の体系化や既存の概念との関連の下で発展が進み,自然現象の数理的研究においても有用な概念として定着しました。今後,生物現象に関する数理的研究においても,さらにその応用は広い可能性を期待できます。

 本研究においては,フラクタル理論に関わる様々な概念を生物現象の数理的研究に有用な形で導入することが課題であり,フラクタルの概念を導入することによって,数理的研究がより進展できうる可能性を示すことを意図としながら以下の様な数理的研究を行なってきました。

1. 脳波データを統計的に処理することによって,そのデータから脳の活動に関する新しい知見は得られないだろうか,と行なった試行的な研究では,脳の活動を記述する統計的力学系の存在を想定し,時系列データとしての脳波データを分析することによって,その相関次元を評価しました(Shinagawa et al., 1991; 品川・瀬野, 1991)。評価された相関次元を元に,いくつかの条件下で得られた脳波データの比較を行ない,脳の活動の統計的力学系による表現が可能であるとしても,条件に依存して,変数の数,もしくは,相互作用項の形が変化するという,複雑な脳機能の構造が予想されました。

2. 動物の移動の軌跡は,時に,非常に複雑ではありますが,なんらかのルールを秘めています。特に,餌食生物種にとって,その移動の軌跡が,捕食者にとっての探索効率を左右するような情報を与えるものである場合,移動の軌跡は,存続にとっての戦略の一つとなりえます。その軌跡の捕食効率への寄与を,軌跡のフラクタル次元を導入することによって数理モデリングを行ない,解析した結果,移動の軌跡のフラクタル性(複雑さ)が餌食-捕食者関係にある二種の間のダイナミクスを議論する上で重要な戦略たりうるということを明白に示しました(Seno, 1993)。

3. 人間の血管系における経験的な生理学的知見として,その流量-管径のべき関係則が知られていますが,その法則におけるべき数の生物学的意味については未知なままです。その解釈に関する試行的研究として,数理モデルとして対称二分岐血管系を考え,そのエネルギー消費最小原理を元にして導かれる関係式を考察しました(Seno, 1995)。エネルギー消費の部分としての生理的エネルギー消費を与える数理モデリングにおいて,管壁のフラクタル性を導入した結果,経験則を含む,流量-管径のべき関係則を導くことができ,べき数が管壁のフラクタル次元に依存している,という可能性が示されました。


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